石巻印刷会社被災視察

2011年7月17日日曜日




JAGAT印刷白書2010への寄稿のためSOPTEC東北の展示会を往訪した際、偶然隣り合わせた松弘堂の松本社長の工場や七星社の被災状況を視察させて頂いた。既に片付け終わったという工場の印刷機にどこからか流れ着いた車両が乗っかっている風景は何とも言えず、原稿は何度も書き直している状況だ。

信頼グラフ(TRUST THEORY)に関する考察

2011年4月18日月曜日

次号の宣伝会議に『 安心と信頼を醸成するためにITをいかに機能させるべきか』 というコラムを書かせてもらいました。奇しくも、前々号にインテレストグラフについて寄稿したばかりというのに、震災のおかげで、個人的にもパラダイムシフトがあったし、未来も20年分前倒しになった気がする。それもネガティブな意味で。そのため、10年後のソーシャルメディアについて準備していた計画を、更に20年先を見据えて計画し直す事になってしまった。そこで今回はインテレストグラフの更に先にあるトラストグラフという概念に触れてみた。以前、日経BPnetにも寄稿したのだけれども、マークザッカーバーグが言う透明性が高まれば、その分世界が良くなると言うのは無邪気な考えだと揶揄する言い方をしたことがあったのだが、Facebookがどうのこうの言う以前に、われわれは自らのアイデンティティと社会との整合性を合わせることが不得手な上、ソーシャルグラフという概念は単純すぎて現実にそぐわないということを指摘したつもりだった。しかしながら、もっと重大な欠点は、信頼という基盤がないところにいくら正しく、透明性のあるデータや知識を流通させようとしても、そのようには伝わらないということ。また、信頼というのは突然テレビに登場する大学の教授との間で成り立つ訳ではない。自分の生死の問題は、それまで培われて来た社会関係資本を元に判断されるのであって、『信頼は急にはつくれない』のである。見えないつながりを可視化するということをライフワークに活動してきたつもりだけれども、これまでは人生を豊かにするためのイノベーションやセレンディピティを創造することが目的だった。しかし、今からは死活問題としてのイノベーションや集合知が世界に必要とされている。新たに世界観を揺さぶる余震の前に足場を固めなくてはならない。早急に。

アカデミック・キャピタリズムについて

2011年2月12日土曜日


雪降る軽井沢で「アカデミック・キャピタリズムを超えて」を読んだ。基礎科学と応用科学の神話の章に、軽い衝撃を覚える。1946年にバネバー・ブッシュがフランクリン・ローズヴェルトに提言した有名な「科学ー果てしなきフロンティア」には、「実践的なあるいは実際の応用を念頭に置いた基礎研究というものは必ず腐敗する」という彼の科学への思想が語られている。実は、現在、日本において、日常的に使われている基礎研究とか、応用研究という区別はこの時から生まれたのだった。先日『譲れない「・」科学技術か科学・技術か、専門家バトル』(http://www.asahi.com/science/update/1214/TKY201012140441.html)という記事を読んで、何にこだわっているんだろうと不思議に思っていたのだが、「・」なしの科学技術という言葉も、プラクティカルな精神を社会形成の鍵としていた米国で生まれたものだった。そういう意味では、明治時代、主にヨーロッパへ留学し、学術や科学導入を始めた日本がまだ純粋科学(pure science)にこだわるのにようやく納得した次第である。とにかく、アメリカの事情を中心にサイエンスの実情を捉えるのは危うい事に気が付いた。アメリカもまだミリタリーサイエンスの成功モデルもしくはコンプレックスからの脱却や、プロパテント政策の整備やその矛盾の中で、新しい科学政策を進めているのである。MITやコーネル大学も最初は州立大学だったとか、大陸横断鉄道で財を成したリランド・スタンフォードが1889年に夭折した息子を追悼して建てられた新しい大学だったとか、ちょっとした事実を知らないが故に、私自身の過剰評価や偏見が多いことにも反省した次第である。大学経営と科学技術政策の背景に興味のある方に是非読んで頂きたい良書である。

ファウンダーブログ第三稿【2011年フェイスブックエフェクトはあるのか? Is the facebook effect on you and your business?】

2011年1月25日火曜日

来月、今回日経BPの300万人の編集会議(http://kaigi.trendy.nikkeibp.co.jp/)で「FacebookはTwitterを超えるか?」というテーマの特命デスクを引き受けました。私がFacebookを知ったのも使い始めたのもそんなに昔ではありません。主に広告業界の人がこぞって登録し始めた3年前くらいに使い始め、当時東大情報学環でソーシャルメディア論の授業をする際、SNSを知らない学生を強制的に登録させて、反応を確かめようとしました。ただHot Wired(現WIRED VISION)などには目を通していましたから、2004年の記事(http://wiredvision.jp/archives/200406/2004061105.html)は読んでいたかも知れません。個人的にはイベントの一斉通知などには使っていましたが、ブログ機能やリアルタイム投稿はTwitterや別のツールを使っていましたし、何が便利という訳ではありませんでした。なので、急に注目を浴びたことやどうしてこんなスケールになったかは正直驚いていて、ちょっとその訳も知りたくて、今回の仕事を引き受けたというのが理由です。ですから、実際の利用者との対話で自分の中にある仮説を検証してみたいと思っています。

その前にソーシャルネットワークサービスの歴史を振り返ってみたいと思います。まず、Wikipediaの英語版によると、米国で一番最初の商用SNSがPlanetAllというサービスで、1996年創業なんですよね。実は私が友人とクリエイター向けのSNS「HumanWeb」を開発したのも同時期です。ただし商用ではありませんでしたし、PlanetAllのように賞を取るような評価が得られるほど登録されることも、知られる事もありませんでした。

PlanetAll was a social networking, calendaring, and address book site launched in November 1996. It was founded by a group of Harvard Business School andMIT graduates including Warren Adams and Brian Robertson. Their company, Sage Enterprises, was based in Cambridge, Massachusetts and was the winner of the 1996 New Business of the Year Award from the Cambridge Chamber of Commerce.

あと今回の「フェイスブックエフェクト」を読んでびっくりしたのが、1997年に創業したsixdegrees.comによってUS 6,175,831.という特許が申請されていたことを知ったのですが、その共同申請者がFacebookの初期投資者でZingaのCEOのマーク・ピンカスだということです。私は1998年に「Small World Connection」というSNSの人間関係の信頼度を可視化するアプリケーションをプレゼンするために1998年に米国のDigital Be-in に参加したのですが、その時に米国に似たサービスがあるのかを聞いたところ、sixdegrees.comが近いと言われた記憶があります。しかし、ソフトウェア特許を申請していたとは知りませんでした。「フェイスブックエフェクト」の著者はこのことが後に意味があること、記していますが、それに対する解説が書籍中にないように思いました。

という事で、フェイスブックが持つ独自性はユーザーが使う機能やサービスにないことは元々明白でした。その後、昨年11月にボストンに行った際、ハーバード大学のCOOPにも立ち寄った後、英語版の「ソーシャルネットワーク」を初めて見たのですが、裁判のいざこざや主人公(つまりマーク・ザッカーバーグ)の態度に何の思想も、尊敬の念も感じなかったため、これがFacebookのプロモーションになるとは思えませんでした。ただ、わかったのはハーバード大学の男子学生が女の子と付き合うには「顔(Face)」が重要で、女の子には男の子がハーバード大学(harvard.edu)であるかどうかが重要であったという単純な事実でした。しかし、フェイスブックの成功の要因は一貫してこの実利性(付き合っている人がいる、いない。じゃあ付き合う?)にあり、その昔、インターネットがかつて持っていた奥ゆかしさ(ハイパーリンクする時でさえ事前許可を取っていた2000年以前)とは全く違うメンタリティです。もちろん、Facebookもニュースフィードがプライバシー侵害にあたるという困難にぶつかったこともあります。

その後、日本語版「ソーシャルネットワーク」の試写を観て、「フェイスブックエフェクト」を読んでだんだんわかってきたことは、マーク・ザッカーバーグの成功が、同じIT業界人としては羨ましいほど、環境が整っていた事実にも気付かされました。映画が面白いのはそのスピード感なのですが、それはマーク・ザッカーバーグが早口で、せっかちな性格だと描写されているからだというだけではありません。Facebookはその登場の瞬間からトラフィックへの対応に悩まされると同時にそのコストを如何に捻出するかが問題になっていました。当初CFOとしてマークを支えていたエデュアルド・サヴェリンは裕福な家柄が故に(もちろんマークも恵まれた家の出ですが)、私費を捻出することで何とかしのぎ、広告スポンサーを取ろうとやっきでした。彼は経済学部だったので、キャッシュフローがないと資金調達が難しいことを知っていたのでしょう。

しかしながら、そういう常識が彼らに亀裂をもたらしました。それは西海岸のカルチャーとショーン・パーカーの存在です。ショーン・パーカーはなんか大口をたたくだけのいい加減なロックンローラーな奴のように描かれていますが、彼の嗅覚とコネクションがなかったら、Facebookはまず資金繰りで破綻していたのです。(更に救われたのは、サーバの運用コストが劇的に低減し始めていた時代に差し掛かっていたことも幸運でした。)つまり、キャッフローベースの時価総額計算など関係のないBig Pictureに投資をする人間同士のコネクションであり、シリコンバレーらしい文化と言えます。よって、エデュアルド・サヴェリンが西海岸へ来なかったこととショーンとの確執は必然だった訳です。マークはその両方を狡猾に利用し、裏切ったというところで映画は終わります。ちなみに映画はマッチョな双子(http://www.youtube.com/watch?v=4BGbAtiIw-c)との和解で終わりますが、これは後に放棄され、現在も係争中なのがさすがアメリカというかハリウッドですね。陪審員はこれを観てどう思うのでしょう?また、エデュアルド・サヴェリンは、最近Qwikiに出資をしています。(http://jp.techcrunch.com/archives/20110120qwiki-8-million-saverin/)つまり映画(ドラマ)はまだまだ続くという感じなのです。

さて、Facebookが今年流行るか?Twitter利用者を上回るかという話しですが、直感的にですが、Twitter利用者規模にはなるだろうとは思います。ただ、米国の利用率ほどになるかというとこの一年では不可能でしょう。ただ、これはFacebookのインターフェイスが悪いとか、国内に競合が沢山いるからという理由ではありません。日本が国際コミュニケーション上でガラパゴス化(内向化)しているからに過ぎません。フェイスブックでは、ローカライズ先の国のユーザーの知り合いの比率が国内の人数を海外が上回った時に、テッピングポイントを迎えるという法則があるらしく、実は昨年9月時点で日本も超えているらしいのです。ただこの法則が日本に通用しないだろうなというのは、この利用者の特徴は、ソシャルメディアそのものに関心のある業界人や帰国子女、海外留学経験者、もしくは昔でいうとペンパルをするような性格の人(懐かしい!)、もしくは暇さえあれば海外をバックパックするというような、日本ではちょっと少数派の人種の第一フェーズの登録が終わったことを意味するだけで、一般ネットユーザーとは言えないからです。また米国とは違い、パソコンはともかくキーボードタイピンングに慣れたシニア層が薄いことも要因になります。更にちょっと嫌みな見解なのですが、マーク・ザッカーバーグが着想した通り、Facebook内のヒエラルキーはハーバード大学(もしくは卒業したエリート)となっています。そのため、知らない人からinvitationが来た時に最初に身に付くのが、プロフィールや肩書き、顔写真であるので、それらを人に誇れる人?には有効なのですが、そういったものにコンプレックスを感じるタイプの人にはFacebookに見えない壁を感じる事があるでしょう。後は、スマートフォンもしくはガラパゴス携帯にFacebookジャパンがどう対応しようとしているかが重要になるでしょう。ともかく日本は珍しくTweetのフィード先をFacebookする人が多いなど、Twitterとの使い分けもはっきりしていて、競合とは言えないので、Twitterの利用者も増え、Facebookの利用者も増える。そして、国内SNSも微増を続けるという余地が残されているかと思います。

なお、Facebookが今後どうなるかという予測については、日経ビジネスの記事「「500億ドルの男」の素顔 「フェイスブック 若き天才の野望」の著者に聞く(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110118/218000/)」をご覧頂ければと思います。個人的には、末尾に書かれている通りだと思います。競合は、生まれてくるでしょうが、マーク・ザッカーバーグの強運と強固な意志、そして柔軟性によって回避出来るだろうという彼の予測です。ただし、私は彼のカリスマ性を直接的に知らないので懸念するのは、日本で言う(世界の)mixiになってしまうことです。国内の専門家は、mixiとFacebookの違いは実名性だと言う人が多いですが、mixiの国内規模では匿名性保持というのは実は難しく、2ちゃんねるでさえも今や匿名性維持は法制的に不可能に近いのです。mixiの現況というのは、身内に限った利用頻度が高く、ネットワークとしては硬直しており(ダイナミクスに欠けており)、Facebookもグループ機能との併用の中で、全く知らない人との接点の拡大や社会学的に良く言われる150人の壁(親しく頻繁にコミュニケーション出来る数の限界)もあり、全体としては巨大ではあるが、セレンディピティに欠けた単なるコミュニケーションチャネルの一つになってしまう危険性です。

例えば、インターネット普及期には自社のウェブサイトを構築する必然性が生まれましたが、今度は会社概要だけでは顧客との接点拡大にはつながらないためにSEOやSEMが積極的に進められ、インターネット内でのプロモーションも盛んに行われました。これはGoogleのここ10年間の進化と連動していました。その後、自社のサイトだけではなく、他のサイトやソーシャルメディアと連携によりSMO(Scial Media Opitimization)展開に至っています。もし、Facebookワールドが巨大になれば、結局企業のファンページへの到達のために、サイト内広告を利用したり、SGO(Social Graph Opitimization)を行うなどの必要性が出てくるため、いいね!ボタンなどを使ったより個別の関心を把握した「Social Interest Graph」マーケティングが必要となりますが、今のところこれらのデータはFacebookの寡占状態にあり、独自にデータマイニングすることが出来ません。この辺りがFacebookと企業双方のビジネスになるのかも知れません。

【ライフログというBig Dataから編み出される関心グラフ(2)】from 関心空間ファウンダーブログ

2011年1月13日木曜日

 例えば、関心空間も一種のライフログであり、書き手が自分だけでなく他人にも共有する価値があると考えた客観性に基づいた関心を更に自分に適合するようブックマークやつながり、コメントによって更新情報や関連情報を得る仕組みなのですが、この仕組みにも特定の条件下では「選択過多」の課題がありました。つまり、知的好奇心が幅広く、強いユーザーは無制限に情報を発信し、それに対する反応も何倍にもなって返ってきますので、潜在的に自分に関心が合うことが保証された情報にも関わらず、ある一定量を超えるとその情報を無いものとして、処分(無視)する必要が出てきました。これは、関心空間だけでなく、著名なブロガーや交友関係が極端に幅広いソーシャルネットワーカーに必然的に起こる現象かと思われます。

 こういった現象はインターネットが無い時代にも特定の権力者や情報機関には同様の状況が起こりましたし、様々な悲劇を起こしたことも歴史が明らかにしています。例えば、第二次大戦末期に米国の原子爆弾開発の情報は日本の末端の諜報部員によって取得されていたにも関わらず、重大な情報として情報機関の上層部に伝わることがなかったであるとか、9.11も事前にテロを予測する情報が米国の情報機関が手に入れながら、特別な措置を取るに至らなかったというようなことです。これらは膨大かつ何がどの程度信憑性があるかどうかがわからない情報を多くの人間が少なからず偏見を持って取捨選択するプロセスを経るため、必ず起こりうる弊害なのです。そのため、人間が何故大量の情報から特定の情報を瞬時に選んでいるのか、また捨てる基準について理解が深まれば、Big Dataとの付き合い方も変わるはずです。また別の見方も存在するでしょう。一見認知(Attention)を得る方法は、かなり生理的には単純かもしれないので、重要そうな情報として無意識下に格納する基準を知ることで、無意識(subliminal)に訴えかける広告手法を考えることも可能かも知れません。(米国では法律で禁止されており、日本でも問題になり易いかと思いますが)

 さて、ライフログの詳細な説明に字数が取られてしまいましたが、今回表題にした<関心グラフ>とは、上記のライフログからコンピュータが参照可能なパーソナルなオントロジー(趣味嗜好の体系)を抽出することを言います。つまり、これまでのマーケティングでは個のデータではなく、特定の属性のグループに属する個として分類されて、その細分化をOne to One Marketingなどと呼んでいたのですが、関心グラフが構築されると他のユーザーが持ち得ないユニークな経験に応じた推論や選択支援も可能になります。例えば、衝動買いによって失敗したパターン例を分析するとか、迷った時に後で買って良かったと思った色の傾向であるとか、特定の体調の時に油分の多いものを避けないといけないというようなことがコンピュータによって提示されるでしょう。(ある意味、赤ん坊の時から身近にいる母親の体験をデータベース化したようなものかも知れません)

 このように関心グラフは、ソーシャルグラフに下位の嗜好データが増えただけのように思われがちですが、実は、ソーシャルグラフアドとは全く違う機能を果たすことも可能なのです。つまり他人に影響され易い購買特性をソーシャルグラフが提示出来ても、その人独自の購買傾向は時系列や後に説明するエピソード記憶(=物語性/ストーリー)に起因するため、協調フィルタリングのようなクラスタリング手法ではその抽出が難しいのです。

 先程、脳が意識に上げないけれども、重要そうな情報として無意識下に格納する基準が分かれば面白いと言った中で、一部科学的に判明していることのひとつがエピソード記憶と呼ばれるものです。人間は7±2という短期記憶の問題があり、複雑で冗長な情報を覚えるために意味を持った構造化すなわち物語として記憶する機能が備わっています。そのため、他人との記憶を照合しながら、過去に遡って、忘れ物をした場所を推定するというようなことが可能な訳です。ですから、関心グラフを厳密に構築するのであれば、単に好き嫌いを段階的にを示すだけでなく、例えば、亡くなった祖父との思い出の品であるというような他人と数値比較が難しいメタデータを持つ必要性もあると考えます。

 話が複雑になってしまいましたが、関心グラフはマーケティング利用には強力なデータにはなるものの、その構築がコンピュータサイエンスだけでなく、医学や脳神経科学、心理学や社会学など様々な分野の知識を必要とするのは明らかでしょう。この話題については、今後長い議論と多くの実証実験を必要とするため、引き続き考察を進めたいと思います。

【ライフログというBig Dataから編み出される関心グラフ(1)】from 関心空間ファウンダーブログ

2011年1月11日火曜日

 前回は、Big Dataを経済指標や気候データなどを対象にその解析メリットについてお話ししましたが、コンシューマを対象にするビジネスに関わっている人々の関心の対象はもちろん、人間行動の分析にあるでしょう。具体的には人間の行動の履歴情報は「ライフログ」という言葉に総称されてしまうのですが、どうもログという響きがアクセスログやウェブログを想起させるために、ライフログが細分化された詳細な日記やスケジュール管理のように聞こえ、ライフログが持つ深遠な課題と可能性について誤解を与えているように思います。なぜなら個人のライフログを理解するということはその人そのものを理解するに近い行為であり、人類のライフログを理解するということは、人類とその歴史を理解するということだからです。

 そもそも、ライフログという言葉は、先端技術にありがちなことですが、アメリカの国防総省の国防先進研究計画庁(DARPA)によって着手された軍事研究の名称でした。ターゲット(敵)に向かう兵士の見聞き、読み、触れたものから自身の生体情報の全てを記録するという機密プロジェクトで、2003年5月に公表されたのですが、プライバシーの侵害を危惧した国民自身の大きな反対にあって、2004年1月に打ち切られたという歴史を持ちます。よって現在、同名のライフログは、国家による軍事目的でなく、個人向けの活動(企業活動含む)となっただけで、本質的な目的に変わりはありません。特定の人間を取り囲む環境(自身が発信する生体情報を含む)のすべてをセンシングし、その活動を第三者もしくはコンピュータが効率的に管理し、目的支援するというものです。

 具体的に、DARPAの研究が実現しようとした機能には、兵士の血圧が急激に下がっている=大量の失血をしているだろうという情報(本人は意識を失って自分では通信出来ない場合)に対し、迅速に看護兵を向かわせるというようなことや、地点情報と移動方向を把握している兵士に、判別不可能な危険情報(同士討ちを避けたり、視界外に接近する熱源を探知するなど)を第三者やコンピュータから通知したりするようなことは可能としようとしたのだと推察されます。しかしながら、こういった技術は過剰に情報を収集して、分析することに時間やコストがかかり、かつ膨大な指示を同時に出しても兵士が混乱して実施することが出来ないという課題も同時に発生するため、DARPAでは、脳の活動に反応し、認知の拡張を目指すしたシステム(Augmented Cognition=AugCog:増強された認知)の研究プロジェクトも同時に行っているようです。

 一例として、ボーイング社は、機能的磁気共鳴映像法(fMRI)を使用し、パイロットの視覚および言語記憶にどのように負荷がかかるかを調べ、最も重要なレーダー画像をスクリーンの中央に表示し、攻撃すべき次の標的を示唆。パイロットの脳にかかる負荷が過大になってしまった場合は、システムが自動的に人間の役目を引き継ぐなどの制御装置を試作したり、ハネウェル社は、市街地を戦闘地域としたシミュレーション実験で、兵士が移動するのを支援するため、彼らに装着されたハンドヘルド型コンピューターへ絶え間なくメッセージを表示することで、敵の待ち伏せを回避し、負傷した兵士を退避させ、更に頭に取り付けられた脳波計(EEG)から、兵士への脳にかかる負荷が過大になったと判断すると、メッセージの送信がスローダウンさせるなどして、医療救助の効率を3倍以上迅速にし、敵の待ち伏せの回避率を3.8倍に上げたという報告もあります。

 これら一連の研究を通じて考えさせられるのは、人間は自分を取り巻く環境から感覚器官(五感)を通じて入力される情報だけでも、1秒当たりだいたい1,100万ビット=約1.3メガバイトと相当量あるにも関わらず、われわれが見ている、聞いていると自分が「意識」している知覚の情報量はたったの70数ビット程度しかないという事実です。(参考ですが、北米では医療機関における画像データ量が、年35%以上のペースで増加し、2014年には260万テラバイト近くに達すると予想されています。)これは、人間がその人にとって意義(論理深度や有意な複雑性)のある情報以外を無意識下に処分(discard)もしくは消却しているからなのですが、もともと人間の身体と意識つなぐ帯域が極めて狭いのか、それとも意識が処理できる能力に限界があって情報を絞っているのかはわかりません。ただ重要なのは、せっかくBig Dataから有意な情報が取り出せたとしても、その情報も更に圧縮もしくは削減しなくては、人間に過度のストレスを強いるか、冷静な選択を諦めてしまう、もしくは放棄してしまう「選択過多(Choice overload)」という問題があるということです。

【Big Dataが生む社会的な価値について】from 関心空間ファウンダーブログ

2011年1月1日土曜日

 年末の初投稿になので、来年に向けて、景気の良い、スケールの大きな話をしましょう。ただし、大きいと言ってもデータのことです。最近、Big Dataと呼ばれる言葉を耳にしませんか?(情報爆発という日本語もありますが、これだと前向きなニュアンスがないので、ここではBig Dataと呼びます。)Big Dataとは文字通り「巨大なデータ」という意味なのですが、米国のIDCの調査によると、2009年に作成されたデータ量は、前年比62%増の0.8ゼタバイト(8,000億GB)だったそうです。ただ、IDCは、2020年には、世界で作成されるデータ量は35ゼタバイトに達すると予測しており、それらをすべて保存したDVDを積み上げると、火星までの距離の半分になるというのです。こんなにもデータが増大しているのは、インターネット利用者や利用量が増えているだけでなく、ユーザーが投稿保存している情報、ストリーミング情報、更にはそれらの利用履歴などをストレージするためのコストがHadoopやキー・バリュー型データストア(Facebookが開発した「Cassandra」等)によって大きく下がったのも要因です。皆さんの利用するサービスを例にすると、少し前にTwitterが一日に7テラバイト(例えると、人間の脳の記憶容量5.6個分、DVDが1500枚、CDが約11,000枚相当)を処理していると発表していました(もう今は10テラを超えています)。またeBayの場合は、それを更に上回り50TBのデータを処理するばかりか、それら商取引を行っているデータを直接リアルタイムに分析可能なAnalytics as a service(AaaS)を実現しているといいいます。また、SNSなどのユーザーアクティビティによって、業務改善を行うソーシャルBPM(ビジネス・プロセス・マネジメント)という言葉もあるようです。実はデータの増加傾向は加速する一方ですが、価値があるから増やすのではなく、捨てないで取っておくコストが低いから増えるだけであり、マーケッターにして見れば、事前にマイニングの対象を決めておかなくても後で処理が出来るのが魅力なのです。

 具体的にBig Dataが何に活用出きるかをご紹介しましょう。昨年10月英Financial Timesが、グーグルが世界中から集めてきた膨大なオンラインショッピングデータから、独自の景気動向指数として「グーグル物価指数(GPI)」の算出を社内で始めているとの記事を出しました。従来の「消費者物価指数(CPI)」のデータは各店舗から手作業で集められ、数週間遅れの数値が1カ月ごとに公式発表されているのですが、グーグル社チーフエコノミストのハル・バリアン氏は、オンラインの情報源を活用すると各種の経済統計がより迅速にデータ集計できることに着目したのです。もちろんCPIに含まれるがGPIでは取れないデータ(住宅関連消費や車関連等)もあるが、昨年のクリスマスシーズン以来、米国のGPIには「オンライン販売される商品に関して、極めて明白なデフレ傾向が表れている」といいます。また「英国では状況が全く異なり、若干のインフレ傾向が見られる」と分析。英国のGPI上昇はポンド安の影響だとバリアン氏はみています。そもそもグーグルの社内にチーフエコノミストという肩書きの人がいるのも凄いのですが、全世界のリテールを顧客にするグーグルにすれば、国別の景気を把握することで、収益予測だけでなく、いずれ広告やパートナー先への価格調整まで可能になるかも知れないということですね。

 さて「巨大」「景気」と来たので「美味い」で話を締めたいと思います。昨年10月14日に行われた「データ主導のビジネス変革セミナー」(主催ITpro、インフォマティカ・ジャパン)の講演で、カルビーのCIOを務めた中田康夫氏が「データ駆動型経営への挑戦」という講演を行いました。ここで最初に紹介されたのは「アッシェンフェルターのワイン方程式」と呼ばれる数式です。アッシェンフェルターというのは統計学者の名前で、ワインの品質を冬の降雨量、育成期平均気温、収穫期降雨量という3つのファクターでワインの品質を表すこの方程式にたどり着くまで、さまざまなデータを分析したとのこと。ワインの専門家は品質を調べるのにワインを仕込んでから3カ月くらい時間かかるが、この数式なら専門家でなくとも収穫時に品質が分かるらしいのです。そして、カルビーでもポテトチップスなどの原料となるジャガイモの品質を、同じように数式で導いているとのこと。「これがデータの威力。データを適切に使うと専門家を超えられる」ということだそうです。ともあれ、これまで、特定の専門家の能力に依存していた分析を、膨大なデータの統計分析によって置き換える試みがさまざまな分野で始まっていて、それらが経営の意思決定、ひいては世界の政治経済事情に影響を与えることになりそうです。

では、来年の皆さんの人生が大きな景気で美味しい生活になるようお祈り致します。
本年もどうもお世話になりました。来年も関心空間を宜しくお願い致します。

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