ファウンダーブログ第三稿【2011年フェイスブックエフェクトはあるのか? Is the facebook effect on you and your business?】

2011年1月25日火曜日

来月、今回日経BPの300万人の編集会議(http://kaigi.trendy.nikkeibp.co.jp/)で「FacebookはTwitterを超えるか?」というテーマの特命デスクを引き受けました。私がFacebookを知ったのも使い始めたのもそんなに昔ではありません。主に広告業界の人がこぞって登録し始めた3年前くらいに使い始め、当時東大情報学環でソーシャルメディア論の授業をする際、SNSを知らない学生を強制的に登録させて、反応を確かめようとしました。ただHot Wired(現WIRED VISION)などには目を通していましたから、2004年の記事(http://wiredvision.jp/archives/200406/2004061105.html)は読んでいたかも知れません。個人的にはイベントの一斉通知などには使っていましたが、ブログ機能やリアルタイム投稿はTwitterや別のツールを使っていましたし、何が便利という訳ではありませんでした。なので、急に注目を浴びたことやどうしてこんなスケールになったかは正直驚いていて、ちょっとその訳も知りたくて、今回の仕事を引き受けたというのが理由です。ですから、実際の利用者との対話で自分の中にある仮説を検証してみたいと思っています。

その前にソーシャルネットワークサービスの歴史を振り返ってみたいと思います。まず、Wikipediaの英語版によると、米国で一番最初の商用SNSがPlanetAllというサービスで、1996年創業なんですよね。実は私が友人とクリエイター向けのSNS「HumanWeb」を開発したのも同時期です。ただし商用ではありませんでしたし、PlanetAllのように賞を取るような評価が得られるほど登録されることも、知られる事もありませんでした。

PlanetAll was a social networking, calendaring, and address book site launched in November 1996. It was founded by a group of Harvard Business School andMIT graduates including Warren Adams and Brian Robertson. Their company, Sage Enterprises, was based in Cambridge, Massachusetts and was the winner of the 1996 New Business of the Year Award from the Cambridge Chamber of Commerce.

あと今回の「フェイスブックエフェクト」を読んでびっくりしたのが、1997年に創業したsixdegrees.comによってUS 6,175,831.という特許が申請されていたことを知ったのですが、その共同申請者がFacebookの初期投資者でZingaのCEOのマーク・ピンカスだということです。私は1998年に「Small World Connection」というSNSの人間関係の信頼度を可視化するアプリケーションをプレゼンするために1998年に米国のDigital Be-in に参加したのですが、その時に米国に似たサービスがあるのかを聞いたところ、sixdegrees.comが近いと言われた記憶があります。しかし、ソフトウェア特許を申請していたとは知りませんでした。「フェイスブックエフェクト」の著者はこのことが後に意味があること、記していますが、それに対する解説が書籍中にないように思いました。

という事で、フェイスブックが持つ独自性はユーザーが使う機能やサービスにないことは元々明白でした。その後、昨年11月にボストンに行った際、ハーバード大学のCOOPにも立ち寄った後、英語版の「ソーシャルネットワーク」を初めて見たのですが、裁判のいざこざや主人公(つまりマーク・ザッカーバーグ)の態度に何の思想も、尊敬の念も感じなかったため、これがFacebookのプロモーションになるとは思えませんでした。ただ、わかったのはハーバード大学の男子学生が女の子と付き合うには「顔(Face)」が重要で、女の子には男の子がハーバード大学(harvard.edu)であるかどうかが重要であったという単純な事実でした。しかし、フェイスブックの成功の要因は一貫してこの実利性(付き合っている人がいる、いない。じゃあ付き合う?)にあり、その昔、インターネットがかつて持っていた奥ゆかしさ(ハイパーリンクする時でさえ事前許可を取っていた2000年以前)とは全く違うメンタリティです。もちろん、Facebookもニュースフィードがプライバシー侵害にあたるという困難にぶつかったこともあります。

その後、日本語版「ソーシャルネットワーク」の試写を観て、「フェイスブックエフェクト」を読んでだんだんわかってきたことは、マーク・ザッカーバーグの成功が、同じIT業界人としては羨ましいほど、環境が整っていた事実にも気付かされました。映画が面白いのはそのスピード感なのですが、それはマーク・ザッカーバーグが早口で、せっかちな性格だと描写されているからだというだけではありません。Facebookはその登場の瞬間からトラフィックへの対応に悩まされると同時にそのコストを如何に捻出するかが問題になっていました。当初CFOとしてマークを支えていたエデュアルド・サヴェリンは裕福な家柄が故に(もちろんマークも恵まれた家の出ですが)、私費を捻出することで何とかしのぎ、広告スポンサーを取ろうとやっきでした。彼は経済学部だったので、キャッシュフローがないと資金調達が難しいことを知っていたのでしょう。

しかしながら、そういう常識が彼らに亀裂をもたらしました。それは西海岸のカルチャーとショーン・パーカーの存在です。ショーン・パーカーはなんか大口をたたくだけのいい加減なロックンローラーな奴のように描かれていますが、彼の嗅覚とコネクションがなかったら、Facebookはまず資金繰りで破綻していたのです。(更に救われたのは、サーバの運用コストが劇的に低減し始めていた時代に差し掛かっていたことも幸運でした。)つまり、キャッフローベースの時価総額計算など関係のないBig Pictureに投資をする人間同士のコネクションであり、シリコンバレーらしい文化と言えます。よって、エデュアルド・サヴェリンが西海岸へ来なかったこととショーンとの確執は必然だった訳です。マークはその両方を狡猾に利用し、裏切ったというところで映画は終わります。ちなみに映画はマッチョな双子(http://www.youtube.com/watch?v=4BGbAtiIw-c)との和解で終わりますが、これは後に放棄され、現在も係争中なのがさすがアメリカというかハリウッドですね。陪審員はこれを観てどう思うのでしょう?また、エデュアルド・サヴェリンは、最近Qwikiに出資をしています。(http://jp.techcrunch.com/archives/20110120qwiki-8-million-saverin/)つまり映画(ドラマ)はまだまだ続くという感じなのです。

さて、Facebookが今年流行るか?Twitter利用者を上回るかという話しですが、直感的にですが、Twitter利用者規模にはなるだろうとは思います。ただ、米国の利用率ほどになるかというとこの一年では不可能でしょう。ただ、これはFacebookのインターフェイスが悪いとか、国内に競合が沢山いるからという理由ではありません。日本が国際コミュニケーション上でガラパゴス化(内向化)しているからに過ぎません。フェイスブックでは、ローカライズ先の国のユーザーの知り合いの比率が国内の人数を海外が上回った時に、テッピングポイントを迎えるという法則があるらしく、実は昨年9月時点で日本も超えているらしいのです。ただこの法則が日本に通用しないだろうなというのは、この利用者の特徴は、ソシャルメディアそのものに関心のある業界人や帰国子女、海外留学経験者、もしくは昔でいうとペンパルをするような性格の人(懐かしい!)、もしくは暇さえあれば海外をバックパックするというような、日本ではちょっと少数派の人種の第一フェーズの登録が終わったことを意味するだけで、一般ネットユーザーとは言えないからです。また米国とは違い、パソコンはともかくキーボードタイピンングに慣れたシニア層が薄いことも要因になります。更にちょっと嫌みな見解なのですが、マーク・ザッカーバーグが着想した通り、Facebook内のヒエラルキーはハーバード大学(もしくは卒業したエリート)となっています。そのため、知らない人からinvitationが来た時に最初に身に付くのが、プロフィールや肩書き、顔写真であるので、それらを人に誇れる人?には有効なのですが、そういったものにコンプレックスを感じるタイプの人にはFacebookに見えない壁を感じる事があるでしょう。後は、スマートフォンもしくはガラパゴス携帯にFacebookジャパンがどう対応しようとしているかが重要になるでしょう。ともかく日本は珍しくTweetのフィード先をFacebookする人が多いなど、Twitterとの使い分けもはっきりしていて、競合とは言えないので、Twitterの利用者も増え、Facebookの利用者も増える。そして、国内SNSも微増を続けるという余地が残されているかと思います。

なお、Facebookが今後どうなるかという予測については、日経ビジネスの記事「「500億ドルの男」の素顔 「フェイスブック 若き天才の野望」の著者に聞く(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110118/218000/)」をご覧頂ければと思います。個人的には、末尾に書かれている通りだと思います。競合は、生まれてくるでしょうが、マーク・ザッカーバーグの強運と強固な意志、そして柔軟性によって回避出来るだろうという彼の予測です。ただし、私は彼のカリスマ性を直接的に知らないので懸念するのは、日本で言う(世界の)mixiになってしまうことです。国内の専門家は、mixiとFacebookの違いは実名性だと言う人が多いですが、mixiの国内規模では匿名性保持というのは実は難しく、2ちゃんねるでさえも今や匿名性維持は法制的に不可能に近いのです。mixiの現況というのは、身内に限った利用頻度が高く、ネットワークとしては硬直しており(ダイナミクスに欠けており)、Facebookもグループ機能との併用の中で、全く知らない人との接点の拡大や社会学的に良く言われる150人の壁(親しく頻繁にコミュニケーション出来る数の限界)もあり、全体としては巨大ではあるが、セレンディピティに欠けた単なるコミュニケーションチャネルの一つになってしまう危険性です。

例えば、インターネット普及期には自社のウェブサイトを構築する必然性が生まれましたが、今度は会社概要だけでは顧客との接点拡大にはつながらないためにSEOやSEMが積極的に進められ、インターネット内でのプロモーションも盛んに行われました。これはGoogleのここ10年間の進化と連動していました。その後、自社のサイトだけではなく、他のサイトやソーシャルメディアと連携によりSMO(Scial Media Opitimization)展開に至っています。もし、Facebookワールドが巨大になれば、結局企業のファンページへの到達のために、サイト内広告を利用したり、SGO(Social Graph Opitimization)を行うなどの必要性が出てくるため、いいね!ボタンなどを使ったより個別の関心を把握した「Social Interest Graph」マーケティングが必要となりますが、今のところこれらのデータはFacebookの寡占状態にあり、独自にデータマイニングすることが出来ません。この辺りがFacebookと企業双方のビジネスになるのかも知れません。

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