信頼グラフ(TRUST THEORY)に関する考察

2011年4月18日月曜日

次号の宣伝会議に『 安心と信頼を醸成するためにITをいかに機能させるべきか』 というコラムを書かせてもらいました。奇しくも、前々号にインテレストグラフについて寄稿したばかりというのに、震災のおかげで、個人的にもパラダイムシフトがあったし、未来も20年分前倒しになった気がする。それもネガティブな意味で。そのため、10年後のソーシャルメディアについて準備していた計画を、更に20年先を見据えて計画し直す事になってしまった。そこで今回はインテレストグラフの更に先にあるトラストグラフという概念に触れてみた。以前、日経BPnetにも寄稿したのだけれども、マークザッカーバーグが言う透明性が高まれば、その分世界が良くなると言うのは無邪気な考えだと揶揄する言い方をしたことがあったのだが、Facebookがどうのこうの言う以前に、われわれは自らのアイデンティティと社会との整合性を合わせることが不得手な上、ソーシャルグラフという概念は単純すぎて現実にそぐわないということを指摘したつもりだった。しかしながら、もっと重大な欠点は、信頼という基盤がないところにいくら正しく、透明性のあるデータや知識を流通させようとしても、そのようには伝わらないということ。また、信頼というのは突然テレビに登場する大学の教授との間で成り立つ訳ではない。自分の生死の問題は、それまで培われて来た社会関係資本を元に判断されるのであって、『信頼は急にはつくれない』のである。見えないつながりを可視化するということをライフワークに活動してきたつもりだけれども、これまでは人生を豊かにするためのイノベーションやセレンディピティを創造することが目的だった。しかし、今からは死活問題としてのイノベーションや集合知が世界に必要とされている。新たに世界観を揺さぶる余震の前に足場を固めなくてはならない。早急に。

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