映画「Contagion(接触感染)」

2012年2月22日水曜日


成田→シカゴ間の10時間のフライト中、私の大好きな俳優マット・デイモンが出ている新作映画「Contagion(接触感染)」を観た。何故か、飛行機内で観る映画はその後の人生を示唆する内容に出会すのだが、この映画も恐ろしいほどに予知的である。内容を一言で言うといわゆるエピデミック、バイオハザードものなのだけど。シナリオは極めて現実的で、おおよそエボラ出血熱(http://bit.ly/xB0q3W)の出現経緯をなぞっている(私が向かっているコンゴ民主共和国のエボラ川上流でコウモリが持っているウィルスが人間に感染したのが起源と言われている)。映画のエンドロールには、Centers for Desease Control and Prevention(http://www.cdc.gov/)の協力も得ているようだ。(奇しくも、日本に帰国したら感染症のエキスパートである山本太郎・長崎大学教授と一緒に会いたいです、と知り合いにメールしたばかりでもあった。)エンターテイメントとしてはどの役者も抑制が利いた演技が素晴らしいだけでなく、サントラがとても良く出来ていて(CLIFF MARTINEZ)、単に恐怖心を煽るパニック物ではない映画として、絶妙なバランスになっている。本タイトルの命名起源は、人間が起きている間に自分の顔やコップや他人と接触する回数は2000-3000回という事実であり、この接触を通じて感染症は拡がる。ワクチンがない感染症はこの接触を断つより予防の方法がない。この映画の結末は、何も特別などんでん返しがあるわけでなく、感染源を特定する過程をなぞっているだけだ。この映画の良さは接触によって人間は関係性を得て生きているためにそれを断つことは不可能なのだという極めて当たり前の事実を可視化している点にある。映画で主要な役回りをしているブログジャーナリスト(ジュード・ロウ)と米国疾病管理予防センターの所長(ローレンス・フッシュバーン)は対比的行動ではあるが、自分を頼りにしてくれている人間の期待に応えようとし、その影響力がウィルスのように他人に波風を立たざるを得ない。さてここで我田引水ではあるが、今回の海外渡航の目的の一つは、ポスト3.11時代における信頼ネットワークの構築手段、すなわち<人間の安全保障>の実際的プラットフォームの構築についてである。今、この投稿をしているシカゴ・オハラ空港はこの映画ではウィルスの拡散を防ぐために町ごと封鎖されることになる。その結果、暴動や略奪も発生する。残念な事にワクチンが開発されてからも必要量を確保するのに一年を必要とし、その間、人質をたてにワクチンを手に入れるために政府や国際機関を恐喝するなどの事態が続くのである。実際映画の設定として矛盾があるのは、世界の12人に1人が死ぬ状況に陥る状況にありつつ、それを一年も待てるのかという点はあえてぼやかしている。ともかく、この映画の状況とさして変わらないと思える福島第一原発被災における日本人被災者の冷静さとは異常とも言える落ち着き、忍耐強さであろうか。もしこれと同じ状況が起こったときにワクチンの開発や精製を協働して最短化するにはどのような準備が必要か、告知のプロセスや手段、予防策、隔離方法、治安維持はどうあるべきか、この映画はハリウッド製なので主に米国がこれらの危機を主導的に乗り越える設定になっているが、本来は国家間を超えた対策、すなわち<人間の安全保障>が必要なのである。いわずもがな目の前にある危機や敵はネットワーク的であり、べき乗数で拡散し、それらに国境はないからである。

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